2016年11月9日水曜日

考えたり諦めたり

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先日袋町公演で行われた大イノコ祭りのかがり火。
竹につながれた88本のロープで大岩を宙に浮かせているモニュメントも見事で、きれいでした。
あまりの寒さに、熱燗がそっこーで冷めましたが。

さて、4月から続く怒涛の事業も今年あと2本。
先日、K.D.Sのロケ撮影に向かう車中で、アシスタントでついて来てくれた坂田君に繰り返し「わたしのなかではまだ夏が終わらない!始まってもいない!」とぼやきまくったのでした。
ここ数年、事あるごとに坂田君をいろんな現場に引きずり回してますが、どこに連れて行っても非常に高評価をゲットして、ともすれば自分の仕事につなげていくゆえんは、彼がものすごく聞き上手だってことにあるような気もします(笑)
無色透明を立ち上げて6年、毎年倦まず弛まず事業をさせていただける事はありがたい事です。
そんな中自分が、会社勤めをしながら制作業をしていることについて最近考えさせらることがありました。
わたしは予め演劇をしていることを承知してもらって入社したくだりがあり、アルバイトや派遣時代と違って、何週間も休んでどうとかということはできなくなりましたが、現状非常に恵まれた環境下に居ると思います。(これには雇用を決めた人が小さい時におやこ劇場に入っていたという奇跡的なめぐりあわせがあったのですが)その分会社に対しても断じてお荷物であるわけにはいかず、ちゃんと認められる仕事で返さなければならないというプレッシャーと責任感をもって勤められていることは幸せなことだと思ってます。もちろん大変なこともあるけど、労働と活動とを前向きに折り合いをつけていくことも自分にとっていい修行になってます。
昔、まだ制作駆け出しのとき、機会があってオリザさんにインタビューをさせて頂いたとき、プロフェッショナルについて伺ったことがありました。(ご興味がある方はこちら。先代のブログです→http://hiroshima-egk.jugem.jp/?eid=73
オリザさんの言葉は、今のわたしにつながる励みの柱の一つになったように思います。(影響受け過ぎてあちこちでしゃべってきたので今自分で読み返してみてちょっと恥ずかしい!(笑))
色々あって今に至ってますが、制作について広島に居る今はプロだのアマだの他人にどう評価されるかということにこだわらなくなりました。たまに悲しい気分にさせられることはありますが(笑)継続させることを最優先とし、そのために個人の活動ではなく制作団体とするためまず資本を確保する道をわたしは選びました。
きっとすごく才能や力量のある制作者なら、他所に所得を求めずとも、演劇活動でちゃんと稼いで成立させられるのでしょうが、わたしにはそこまでの才能はなかったので仕方ないです。ないものねだりしてもしょうがないので、その上で前に進んで行くことにしました。誰にどういわれてもいい、真っ当な気持ちを以て活動に取り組んで、それを後ろにつなげて渡してく。
団体にしたことで独りではないことの責任は重く感じています。他のスタッフは私よりも10歳以上若いので、無色透明の草創期を一緒にがんばってくれている彼女たちにはもう少し整備した土壌を残して行ってあげなければいけないと思っています。わたしが制作を始めたばかりの9年前、本当につらかった時、上にしてもらったことを下に返していくことを馬鹿正直に続けていきたいです。
彼女たちに代替わりしたとき、広島でも制作活動をちゃんと経済活動に結び付けられる時代になっているよう、今日一日をまたがんばろうと思えます。