2018年8月9日木曜日

今日は長崎の日です。

わたしにとって8月6日の午前8時15分が、毎年緊張をする時間であるように、今日8月9日の午前11時2分は、長崎の方たちにとって緊張の時間であったと思います。
長崎の原爆は、浦上地区に投下され、勝手な人間の価値観のせいで古くから弾圧を受けてきたこの地の方々は戦後も非常に苦しい思いをされたそうです。
NHKドキュメンタリー - ETV特集「原爆と沈黙~長崎浦上の受難~」を観たときのショックは忘れられません。
今年1月、ローマ法王が「焼き場に立つ少年」を印刷したカードを配布したそうです。
幼くして死んだ弟を背負った少年が、火葬の順番を待っている姿が写っている写真です。アメリカ海兵隊の従軍写真家ジョー・オドネル氏が、原爆が投下された直後の長崎で撮影した。

わたしは、毎月6日の被ばく証言者の会に、行けるときは毎回参加するようにしているのですが、その中のひとつである女性が同窓会で男性に「今まで誰にも言えなかった」と話しかけられたお話を忘れられません。彼は当時小学2年生で、逃げる途中でお母さんが亡くなり、火葬をしてあげたいと山で木を探してくるのだけれど、生木は燃えないということを知らなくて、何度も何度も火をつけるのだけれどどうしてもお母さんを焼いてあげることができなかったそうです。当時住職だった女性のお父様が、道に横たわった亡骸を火葬して供養していた事を知り「うらやましいと思った。お母さんをそうしてあげたかった」と話されたそうです。
わたしには甥がいて、彼と同じ年の子どもが、自分の母親の死体を焼けなくて彷徨う姿を想像しただけで今でも涙が出ます。
この写真の少年も10歳前後だと思います。撮影したオダネル氏は、その後何年間も彼を長崎で探したそうなのですが、見つけることができなかったそうです。
広島の人間が誰しも慰霊の念を持ち合わせているわけではありません。ある飲みの席で、曲がりなりにも官職に在った人間が研修で広島に来た新入社員に「平和公園なんか行っても面白うないよ!もっとええとこ行きんさい!」と笑いながら言っている場に遭遇した時本当に腹が立ちました。職場では慰霊だの平和だの鎮魂だのに長年仕事で携わっていても精神はそんななのです。個人批判にならないように(心の中では『この愚民めが!』と叫びながらですが)反論したけど誰も聞いてませんでした。こんなおっさん達の年金を払うためにせっせと税金を納めているのかと思うと本当にバカみたいです。でもこんな理不尽日常茶飯事です。残念ながら個人の声はとても小さい。だからわたしには演劇が必要です。「こんなバカな中年にだけはなりたくない」と自分が思うだけでは足りない、全然怒り収まらない、だから演劇を通して色んな人にあんなおっさんになったらだめだと思ってもらおうと思います。演劇にはそれができるから。あの発言は一生許せないけど巡り巡って、いつか「ああ人として恥ずかしいこと言った」と思ってもらえる日が来たらいいなと思います。
11:02に喫煙所で一人で黙とうしながら考えた事でした。