2019年3月13日水曜日

【ウタとナンタのピロ電まつり】パンフレット寄稿文と昨日の映像

昨日の放送をご覧いただいた方、ありがとうございました。
個人的には使われていないはずだったわたしのインタビューが流れてビビりました。そして自分の瞬きの多さと長さに引きました・・・(わたし考えながら話すとき目を閉じてるとかさらに転じて白目剥いてるいうのは人から言われて知ってはいたんですが、いざテレビの画面で見ると衝撃でかいですね)
き・・・気を付けたい、というか治したい・・・。
という、個人的なあれこれはさておきまして、総監的には、数日間にわたって取材くださり、出演メンバーへのインタビューや広島の俳優たちとひゅーるのメンバーのコミュニケーション風景などが垣間見え嬉しかったです。
以下のリンクより視聴可能だそうです。
「広島ニュースTSS/テレビ新広島」
http://www.tss-tv.co.jp/tssnews/000003270.html
スタッフの山田めいが放送をスマホで撮影してくれましたので↑は視聴期限があるとおもうのでこちらもアップしておきますね(わたしは打合せの為テレビ見れなかったので)

一か月前に前売りが完売し、当日券もほんとうにわずかしか出せず、お入りいただけなかったお客様もたくさんいらして、制作としてはもうしわけない気持ちでいっぱいでした。
本当にごめんなさい。

当日パンフレットに、ひゅーるぽん理事長の川口さん、演出の永山さん、脚本の柳沼さん、そしてわたしも、この公演に際しての文章を寄稿しました。
お手に取っていただけなかった方のために、こちらでご紹介させていただきますね。

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また出会える、また出会うために
NPO法人ひゅーるぽん 川口隆司
本日はご来場ありがとうございます。
ふと、最近「息苦しさ」を感じることがあります。最近と書きましたが、近年、年が新しくなるごとに「息苦しさ」を感じることが増えてきたと言うほうが正しいかもしれません。私たちが活動を始めた1981年。休日に家に閉じこもりがちだった障がいのある子どもたちと遊ぶことが私たちの活動の中心でした。2001年、不登校、学級崩壊など、子どもだけが問題視される時代の中、私たちはそれら子どもたちが安心して楽しく成長していける学校でも家庭でもない育ちの場を作りました。天気がいい日は屋根の上で絵を描き、暑い日は電気代節約のためにみんなで氷をかじり、台風が来れば強風の中の凧揚げを試し…と、一日を通して笑いが止まらない時はなく、子どもたちもスタッフも次の日が来るのが楽しみで楽しみで仕方ありませんでした。
時代が変わり、現在この活動は「放課後等デイサービス」という公的な「サービス」になりました。変わったのは名前や仕組みばかりではなく、現場の風景も大きく変わりました。連日のようにやってくる事務連絡のメール。細部まで規定したガバナンスに沿った運営が求められ、そのチェックのために書類を作成し、さらに受講必須の研修も減ることはありません。自分も含めスタッフが難しい顔をしてパソコンに向き合いつづけている姿は日を追うごとに増えていることを感じます。一方で、今日も現場では「ワーク&ライフバランス」を目指して運営をしていかねばなりません。そこで、やっと、「18年前よりも笑い声や会話が減った」と気づき、とてつもない息苦しさを感じるのです。
 私たちは、誰に向き合って、何のために仕事をしているのだろう。私たちが目指す幸せな未来はこの毎日の積み重ねの先にほんとうにあるんだろうか。
「おきらく、ごきらく」の猿猴(えんこう)たちの世界は、心の底からのうらやましさを感じる単純かつ幸せな世界です。「ピカ」を境に、人間とは別世界で暮らし始めたという猿猴が伝えるメッセージはあまりにも示唆に富んでいます。猿猴は、人間の「生き方」を問う存在であると同時に、また次に私たちが人間として幸せな出会いと成長を迎えることが可能であり続けるために存在しているようでもあります。
そして、もうひとつ。私は、この舞台が様々な人たちが共に演じることで生まれ来た舞台であるという事実に強い感動を覚えるのです。


愛すべき場所
演出 永山智行 [劇団こふく劇場]
みなさん、こんにちは。演出を担当した宮崎の劇団こふく劇場の永山智行と申します。本日は劇場に足をお運びいただき、ほんとうにありがとうございます。
 さて、劇団は2作目からがほんとうの劇団になる、というのが、わたしの持論なのですが、この「おきらく劇場ピロシマ」もついに2作目となる作品の上演日を迎えることになりました。
劇団の1作目は情熱と勢いと幸運で、どうにか上演できたりするものですが、2作目、3作目には、それに加え、地に足のついた深い意志が必要になります。そして何より、参加する出演者、スタッフのみんなが、その場所をかけがえのない場所だと愛してくれること、それなしには、その場所はみんなの広場とはならないものだと思うのです。
この「おきらく劇場ピロシマ」は、「広場をつくろう」というワークショップから生まれました。そして、ここはいま、みんなが愛してくれる広場になろうとしている。ワークショップや稽古で参加者のみんなに会い、「おきらくごきらくー」とお互いに声をかけあう姿を見るたびに、その思いはますます強くなっています。
 画面上の強い言葉が、日々、人と人を分断していくこの国で、こうして立場の違う人間たちが、そのそれぞれの体を持ち寄り、出会い、折り合いをつけ、その場をもっと優しいものにしていこうと、愛し続ける。それは確かに、この広島の片隅で行われているほんの小さな営みかもしれません。けれど、この小さな営みにこそ、わたしたちの暮らしの希望はあるのだと、わたしは強く信じています。
 さて、いよいよ2作目の時間がはじまります。まずは何より、ここでの時間を最後までごゆっくり、そしてお気楽にお過ごしください。
【演出プロフィール】 永山智行 (ながやまともゆき)
1967年生まれ。劇作家、演出家。劇団こふく劇場代表。
2001年『so badyear』でAAF戯曲賞受賞。同作をはじめ、戯曲は劇団外での上演も多い。2006年10月から約10年間、公益財団法人宮崎県立芸術劇場ディレクターを務めた。また、2007年からは障がい者も一俳優として参加する作品づくり (みやざき◎まあるい劇場) に取り組み、地域における演劇の質の向上と、広がりを願い活動している。

ようこそ、ピロシマへ
脚本 柳沼昭徳 [烏丸ストロークロック]
私は、ふだん自分の劇団では自分で書いた脚本をみずから演出しています。昨年、演出の永山さんの「自分の書きたいことを、どうぞ思いっきり書いてください」という言葉をそっくりそのまま受け止めた私は「これどうやって演出つけるんやろう……」「知らんでぇ……」とつぶやきながらカッパの猿猴(えんこう)たちの暮らすファンタジー「ウタとナンタの人助け」を描きました。そんな無責任で奔放な脚本であったにも関わらず、本番では出演メンバーとひゅーるぽんのスタッフの皆さん、広島の演劇人の皆さんたちが、まさにピロシマに暮らす猿猴たちのようにひとつとなって、みごと多くの観客の心を優しくつかむ佳作となりました。
そしてシリーズ第二作目となる「ウタとナンタのピロ電まつり」。
こんどは、えっちゃんというお年ごろの女の子と、そのパパとママがピロシマに迷い込みますが、前作同様、思春期の子どもたちを主軸にピロシマワールドが展開されていきます。子どもから大人へと移ろいゆく少年少女が、些細な日常に違和感を浮かべ、迷い込んだピロシマで猿猴たちとの交流の中で自身の違和感の実態を知り、人間界に戻り成長するというのが大筋です。
 この物語のなかの猿猴たちは、いい加減で、事あるごとにふざけているように見えますが、その背景には、かつて、猿猴と人間とは共に同じ広島に暮らしてたけれど、原爆が落とされ街が破壊されたことがきっかけで、猿猴たちは人間と離れ、自分たちの世界を作った。といういきさつがあります。人間の世界を基準にすれば文明や道徳、知的レベルはずっと低いです。しかし、人間たちが戦後、経済的な豊かさを求めて、世界経済に追いつけ追い越せと励んだいっぽう、猿猴たちは、彼らの交わす挨拶「おきらくごきらく」にあらわれているように、猿猴たちは、猿猴なりに他者に優しくしたり、他者を許したり、それなりの努力をして、仲間同士いい加減でお気楽に暮らしていける道を歩んできました。
こうしたある理想的な世界を形にするため、作品に参加した仲間たちの人間関係は猿猴のように寛容に、また演劇作品の質を求める姿はごくシビアに今日まで稽古を重ねてきました。
毎日お忙しいとは思いますが、ふと足を止めて、このお芝居を見ていただいて、お帰りに美味しいものでも食べて、お気楽ごきらくに今日という日をお過ごしいただけると幸いです。
【脚本家プロフィール】 柳沼昭徳 (やぎぬまあきのり)
京都の劇団「烏丸ストロークロック」代表。
フィールドワークを行いながら現代社会のあり様に向かい合い、モノローグを活かした心象風景を作品に描き込む事で濃密な舞台を創り出す。全国各地で高校生から高齢者までを対象とするワークショップや、市民参加型の脚本・演出も手がける。
第60回岸田國士戯曲賞最終候補ノミネート 平成28年度京都市芸術新人賞受賞


「ココロノヨユウ」
プロデューサー 岩﨑きえ
まずは、昨年度に引き続き今年もまたこの日を迎えられましたことに際し、多くの方々のご協力、ご助力に心から感謝申し上げます。
前作「ウタとナンタの人助け」は、本公演終了後も多く再演のご依頼を頂き、思えば一年中公演していたような気が致します。私は長く舞台の世界に携わっていますがそのような経験は本当に初めての事です。
 この作品の稽古が始まってすぐの事でした。私は代役で台本の読み合わせに参加し、ある出演俳優が私の担当していた役に向かって発した「ココロノヨユウ?」というセリフに、自分でも驚くぐらいひどく動揺したのを覚えています。私は無意識に(かなり)適当にセリフを読んでおり、逆に彼女は無意識にセリフの真意を突いた演技をしたからです。長年芝居をしてきたからこそ判る衝撃でした。真の演技、真のセリフというものは自意識を超越した無意識の中にこそ在るという事を真正面から叩きつけられたような気がしたのです。私は、この活動を福祉活動と感じたことは一度もない理由の一つに、こういう事が起きるからだと思います。俳優が苦労して稽古してもなかなか達せない場所に彼らはすんなりとたどり着いてしまう時がある。舞台という虚構の世界の中で輝くのは嘘のない芝居、というややこしい矛盾をいとも簡単に飛び越えてしまいます。
 芸術活動というのは兎角収入に繋がりにくいものです。実際私自身も演劇活動で日々の糧を得られているわけではなく、会社員として時間やお金や家族など様々なことを遣り繰りしながら、演劇の専門家として恥じない仕事をする為に必死の毎日です。そんな中稽古場に行くと、ゆっくりと丁寧に、ただただ演じる喜びに満ちた「おきらく劇場ピロシマ」のみんながいます。彼らと居ると、知らず知らずの内に演劇を愉しむココロノヨユウを失いかけている自分に気づかされるのです。
 お金では測れない色んなものがこの舞台には詰まっています。今日お越しくださった皆様にも、日常から少し離れたココロノヨユウ時間を過ごして頂けることを心から願っています。本日はご来場本当にありがとうございます。