今月の初頭ですが、愛用していたネックレスを紛失しました。
わたしは物にパワーを頼るタイプの人間なので、あまり多くのものは持たず気に入ったものをずっと身に着けています。ペンやノートにこだわるのも同じ理由ですね。
現場頑張った自分ご褒美に買った代物を、大変な現場の前日に紛失、気づいてすぐ警察に届けましたが、道に落ちてる貴金属届けてくれる人なんてそうそう居ないわな・・・。次の日から修羅場の現場だから自暴自棄になる事も出来ず「ネックレス 落とした」をGoogle検索してしまう病んだ一日を送ったのでした。
すると大体上記のようなものや「身代わりになってくれた」などのスピリチュアルなアンサーが返ってくるんですよね(謎)
まあものにパワーを頼っているわたしが言えた立場じゃないか。
ほぼ無傷で生還の脳梗塞の代償だとしても請求遅くね・・・???というわけで「誰も怪我せず嫌な思いせずこの現場を乗り切れる代償」と思うことにしたのでした。
とはいえ、お気に入りをなくすのはメンタルダメージ大きいです。
わたしは別にブランドが好きとかではなく(そんな身分じゃないし)、ステイタスを求めているわけでもないのですが、アクセサリーを買う理由としては「遺産として遺せるから」が一番大きな理由です。
演劇なんか続けていけば、わたしにまとまった遺産なんてのこせるはずもないので、そこそこのものであれば、売ってもらえれば小銭くらいは、みたいな心境。
「普通にお金で残せよ」と思われるかもしれませんが、それこそ事業を行うたびに40~50万円くらいは自費で都合できるような状態にしておかないといけない環境下に常にあると(助成金の立替などならまだしも、帰ってこない場合だってある)、あれば湯水のように演劇にお金を使ってしまうだけ。いわゆる残念ガールなのです(ガールではないが)。そんなこんなで余剰なお金なんて残す気になれない。安全に2人分暮らしていける分だけあれば十分です。
お金使ってばかりの演劇で、ここぞと頑張った分はせめてかわいいものに形を変えて身近に置くくらいのわがままは許してほしい、買った時値段には及ばないにしても、居なくなったら遠慮なく売りさばいてくれ、と思っています。
スピリチュアルを信じているわけではないですが、手放そうかとちらと考えていたのも確か。
なくしたネックレスは六芒星のデザインで、わたし的には「男女平等」の願いを込めていたのですが、どうしてもそのモチーフが、国家や宗教的な意味合いを包括してしまうものであることが、ガザ侵略移行気にかかっていました。
そこそこしたネックレスだから、そこに在るのに新たなものを買うことなんてしなかっただろうし、なくしでもしない限りは手放せなかったかもしれない、あ、これが執着からの解放なのかな?と下ばっかり見て歩くのをやめました。
というわけで、新たなお気に入りに出逢う日を夢見て、こつこつかわいいもの貯金に励むため明日も働こうと思います。とほほ。
ちなみに昨日は、退職する派遣さんとのランチ会のあと、ワークショップに行く途中ブレスレットを落としました(あり得ねー)同じ月内でそれはないだろ!と気づいた瞬間から来た道のりを自転車爆走、地元ならまだしも広島市内の超ド真ん中で見つけられるか生きた心地がしませんでしたが、自転車を停めたパルコ前の屋外駐輪場で奇跡的に救出しました。どっと疲れた30分でした。
このブレスレットは落とすの2回目・・・。1回目は会社のあるビル内で拾った人がビルの出入り口に設置してあるアルコール消毒台に置いていてくれたミラクル(ありがとうございました!とポストイットで書置き残しました)。2回目なくすと戻ってこないとも聞いていたのですが、ぎりぎり帰ってきてくれました。こんなこともあります。が、さすがにしばらく着けるのやめとこうか、と怖気づいています(苦笑)