2017年1月11日水曜日

【観劇記録】絶望感。

「赤魂Akadama ~もう一つの世界のカープ日本一物語~」という舞台を観に行った。
SNSなどで絶賛されている。3,000円という、広島では高額な舞台に入るチケット料だ。

どひゃー、こりゃひでーよ!!というのが第一印象であり、全て。新年早々大事故、大けがの舞台に遭遇してしまった。間違いなくここ数年観た舞台のワーストワンだ。
その原因は、演出家の知識とスキルの無さに尽きると思う。
演劇だって、芸事なのだ。お金を取って提供するには、責任があり、やる側にはちゃんと知識も勉強も訓練も要るものなのだ。お料理が作れない人がレストラン開くのをおかしいって思うのと同じことなのに、ピアノが弾けないのにリサイタルを開くのは無理だと言うのと同じことなのに、なぜこうも安易に演劇ではそれを無視されてしまうんだろうか。ただただ悲しかった。

プロフェッショナルな部分である本物のアナウンサーによる、野球の実況中継の影アナとかは、すごく良かった。そのぶん余計に実際の演劇そのものの酷さに打ちのめされる。
そして極め付けは最前列に座った客のマナーの悪さたるや・・・とにかく芝居中写真を撮りまくるのだ。カメラの音も光もばしばし出しながら。その人たちの行為に何も悪くない出演者に「あなたさえ出なければ」と理不尽な不快感を覚えてしまう。
なにより、そんなモラルのない行為が物語の妨げになることも、不愉快な思いをする観客が居ることも、制作側が全く無視していることが驚愕以外のなにものでもなかった。
2時間の時間を使い、3,000円のチケット代を払ってそんな人たちと空間を共有しないといけない苦痛を味わうくらいなら、演劇なんかにしないでほしかった。そういう苦痛を味わう恐れのない、映画やテレビドラマでやって欲しかった。

ただそれらは、一様に今回の演出や制作を責めることは出来ないと思う。
ある程度の年齢で社会的地位のある人が初めて演劇を創るという事にあたって、アドバイスを求めたり相談できたりセオリーを仰ぐことができるだけの社会的信頼のある演劇人も機関も、広島に存在しないからだ。わたし自身を含め演劇をやっている方の側の罪でもあるんだ。その贖罪なのだこの時間は、と思いながら客席で粛々と2時間を過ごした。

小さくても良質な本物の演劇を広島の人に観てほしい、と制作活動を続けてきた。本物の劇作家が、演出家が、俳優が広島で誇りを以て活動できる土壌づくりをコツコツと目指してきた。
しかし、巨大なマスメディアの力で「これが感動する演劇だ!」と堂々とあのような舞台をされるとどう踠いても太刀打ちできないのだ。「これが広島発の広島の演劇だ!」とコーラスされることに絶望を感じながら、黙って見ていることしかできない。絶賛の危うさに、ただただ恐れと悲しみを感じた。
それでもお客さんが「楽しかった」「面白かった」と言えばOKなのだろうけれど・・・本当にそれでOKなのか?ダメだよ、ヤバイよと思っているこっちがおかしいのか・・・マイノリティなのは重々承知だが、真面目にまっとうに舞台芸術を志していることに、心が折れそうになる一夜だった。