昨年の12月からスタートしました「新平和」国内ツアー、いよいよ大千穐楽の地へやってきました。写真は立ち寄った熊本のSA。この青空のように澄み切ってこれからの時間に臨むことができれば本望です。
劇中に登場する諷誦にもあるように、立場の違い、考え方の違い、グラデーション化されたさまざまな違いの中で、常日頃、我が身可愛さの自身や他者に多かれ少なかれ苦しまされます。「絶対、間違ってないのに。悪いことなんか何にもしてないのに」それは立場,見方によって変動するのだからと考え始めると終わりのない問いの繰り返しに途方に暮れ自分が今どこに居るのか、どこになら居てもいいのか途方に暮れます。他者ではなく問題は自分の中にある。後悔や恥辱とも向き合いなんとか折り合いをつけて明日を生きていくしかない。演劇の時間はどこかそういったわたしの矮小な日常を浄化してくれる時間をくれる気がしています。
ここにいない誰か。ここではないどこか。今ではないいつか。そういうものに思いを馳せることができる時間。それを同じ時間同じ空間で過ごし共有してくれるお客様が客席にいて下さること。ああ個体でくよくよしていられないと思わせてくれる時間。
「少なくともまだ、核兵器は使われていないわけですし」
図らずも、劇中に登場するこのセリフにこんなにも危機感を煽られる事態が今起きています。
爆撃で死傷した市民のなかに数十人もの子どもがいる。そんなニュースに毎日ただため息が漏れます。どうすることもできない自分を感じます。そしてその後、何事もなくやってくる自分の日常。朝起き身支度をし会社に行く。帰ってくる眠る。繰り返し。世界であんなことが起こっているのだから自分のこんな平穏で平和な日本での日々に感謝しなければ、というのもなんか違う。
「隣にいる人に優しくする事を広めていく」
わたしも、そういう風に歳を取れたらと思います。
昨日宮崎入りして、劇団こふく劇場の皆さまをはじめ、ホールの方々、管理のユニークブレーンの方々、たくさんのお手伝いの方々、「きえさんの顔だけでも見にきたよ!」と声をかけてくれる方々、三股町にて本当に手厚い受け入れをいただきただただ感謝しております。わたしのちっぽけな日常の澱など雪ぎ流されるような心持ちにさせられます。そんな方達に支えられて、着々と舞台が組みあがっていきます。
下記は、東京公演、宮崎公演でパンフレットに寄稿させていただいた文章です。
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「新平和」上演にあたって
2016年、広島の俳優の技術と教養の向上と研鑽のために無色透明の自主事業として立ち上げた「広島アクターズラボ」。講師に烏丸ストロークロックの柳沼昭徳氏を迎え、この講座の中で「原爆を今、演劇にする」という取り組みが始まりました。この脚本は、出演俳優一人一人が、被爆体験者やその時代を生きた方々と1年間交流を続け、彼らとの何気ない日常会話の中から語られる体験の生の声を記録するオーラルヒストリーの手法を取入れており、取材を行った俳優自身がそれらを異化し、創作したエチュードを元に形成されました。5年もの間、出演者・演出が共に膨大な資料と向き合い、稽古時間よりもはるかに多くの時間をディスカッションに費やし、2019年の本公演、そしてこの度の再演に際し、柳沼氏によって長編作品として仕上げられました。
この作品は原爆の惨劇を劇的に描くものではありませんし、宗教や政治の思想活動に寄るものでも、核や原発の是非を問う為のものでもありません。「平和」という大きなキャッチフレーズに取りこぼされ、人目に触れないように長い時間をかけて透明化され続けている禍根、極めて不条理な「原爆・戦争」という出来事にもたらされた分断が今に続いている事を、現代に生きる我々の視点から思考し検証する仕事から生まれた、ただの舞台芸術です。
広島・長崎への原爆投下、そして第二次世界大戦の終戦から77年。「平和な世界に今、問いたい」とは土台言えないような出来事が現在進行形で起きています。小麦が高くなった、ガソリンが高くなった。少しずつ身近な日常に影を落としている違和感。異常が日常を蝕んでくる漠然とした不安。そして恐ろしい事にその異常な日常に、報道される爆撃映像に、私たちは次第に慣れていくのです。演劇を為すものとして違和感に足を止め、問い続け、共有し続ける事を止めてはならないと思っています。
広島・長崎では長年「語り部さん」と呼ばれる、被爆体験者の方々が原爆の恐ろしさ、平和の大切さを現代に伝える活動を行なっていらっしゃいます。その生の声を聞けなくなる日はそう遠いことではありません。体験者本人ではない人間が語りつなぐ時、そこに演劇の為すべき仕事があるのではないかという果てしない模索の中でこの「新平和」という作品は生まれました。
私は今、京都公演に使用したパンフレットの文章を書きなおしたいと言い出しておきながら、何一つ満足に言葉にできない自分の非力さ無学さに打ちのめされています。
演劇は演者と観客、双方の存在によってはじめて完成させられるものですから、私のこんな文章などより、キャスト、演出、舞台スタッフたちの仕事がこの瞬間に息づく演劇を客席に届け、そして足を運んでくださった皆様おひとりおひとりが共に創り上げ、受け取ってくださると思っております。
本日はお運びくださいまして、本当にありがとうございました。
五色劇場プロデューサー 岩﨑きえ